2011年05月08日

訓練日誌 22日目 前編


皆さん、こんにちは!お元気ですか?
おかげさまでトリトンは元気にしています。なんと言ってもこれが一番グッドですね。
ゴールデンウィークも今日まで、明日からは平常の生活に戻られる方も多いことでしょう。
大型連休の最終日を怪我のないように元気でお過し下さい。
さあ、それではいつものように本題に入りましょう。
まだまだ続く厳しい訓練の続きをどうぞご覧ください!
4つのテストを無事に終え、今日から休日を挟んで3日間は電車乗降の練習です。
ここで、皆さんに一つご理解いただきたいことがあります。
訓練当時つけていた日記は膨大な量に上ります。
このブログでは、その一部を皆さんにご紹介していますが、一つの動作に対し描写が細かすぎ、読んでいてもピンとこない、くどすぎる、だから面白くないと感じる方もたくさんいらっしゃることと思います。
それによって、数少ない読者が減少してしまうかもという私の危惧が常に頭の中から消えることがないというのも事実です。
しかし、このブログ上で私が伝えたいことの一つに“見えない世界”がどういうことなのか、その“見えない世界”を生きるためにどう工夫しているのか、その手段にアイメイトを選択し、目の前にあるだろう一つ一つの障害物に対し、どのように二人で力を合わせクリアしていくのかを少しでも知っていただきたいというものがありました。
トリトンと歩いていると、すれ違う人の多くは必ずと言っていいほど同じ言葉を発しています。
「お利口なワンちゃんだねえ!」
「あのワンちゃんは今お仕事中なのよ、見えない人を連れていくんだからすごいわねえ!」
盲導犬に適した繁殖犬から生まれてくるアイメイトの卵達確かに血統的に優れ、盲人と歩くために必要な事柄を訓練を通して身につけています。
でも、それは原則として人の指示を待った上での行動であり、アイメイト自らが考えて自発的に動いているのでは決してありません。
しかも、使用者がアイメイトをきちんとコントロールできていなければ、いくら指示を出しても犬は素直に言うことを聞いてはくれません。
アイメイト協会の理事長は、いつもこんなことをおっしゃっています。
「アイメイト、人がいなければただの犬」
そうなんです、ユーザーである視覚障害者の私達が逐一アイメイトに指示を出さない限り、いくら優秀なアイメイトであっても、一歩も前に進むことはできないのです。
例えば、ピアノ教室にトリトンと向かう際、家の玄関ドアを開けてから教室がある建物のドアにたどり着くまで、一体幾つの指示をトリトンに出し、その度に彼は動き、賞め、叱りの繰り返しをしているのでしょうか。
見えない私の頭の中の地図をもとに、6本のコーナーを過ぎ、5メートル進んだ右のドアまで二人で協力し合い一つの仕事を完成させているのです。
まさにトリトンは私の目になり、すれ違う人をよけ、看板や自転車をよけ、水たまりをよけ、必ずコーナーで止まるのです。
それに対し私は、自らの耳を駆使し、空気の流れを体で感じ、圧迫感を感じながら周囲の状況の把握に努めつつ、次の指示を出す準備をしています。
と同時に、歩きながらトリトンの体調や精神状態などの情報も彼の体からハーネスのハンドルを通して受け取ります。
日常生活において80〜90パーセントは視覚に頼っているということです。
私達は残りの10〜20パーセントをどこまで最大限に引き上げていくかの世界で生きていることになります。
目の前のドアを開ける作業、晴眼者にとっては何も意識せずに行なう行動、しかし、私達にそのドアを見ることはできません。
ドアを開け向こうの世界に足を踏み出すためにアイメイトの力を借りているのです。
そのためにはたくさんの指示と感謝の気持ちの積み重ねが必要であること、時間は何倍もかかるかもしれないけれど、できた時はトリトンと二人で喜びを分かち合える、それはかかった時間以上に尊いものであることを皆さんにもご承知いただければと念願するドスコイノブです。
すいません。えらく前置きが長くなりました。
この日の日記は次回へ持ち越しさせていただきます。
                              つづく
posted by ドスコイノブ at 09:00| Comment(2) | TrackBack(0) | トリトンとの日々